武士は食わねど高楊枝とはどんなことわざ?使い方やちゃんとした意味はコレ!
「武士は食わねど高楊枝」
気位や気高さをあらわす際に言いますが、
このことわざにはどんな意味があるのでしょうか。
武士は分かりますが、「食わねど高楊枝」とは
どんな状況をあらわしているのでしょうか。
また、「武士は食わねど高楊枝」の反対の意味で使うことわざには
どんなものがあるのかも気になります。
今回は「武士は食わねど高楊枝」の意味や使い方、
言葉の由来についてチェックしていきましょう。
武士は食わねど高楊枝の意味と由来
意味
まずはこのことわざの意味と由来から見ていきましょう。
- 武士は食わねど高楊枝の意味
たとえ貧しい境遇にあったとしても貧しさを表に出さず気位を高く持って生きるべきだという教えです。
また、やせ我慢するという意味もあります。
現代だと「やせ我慢」という意味合いに使いやすそうですね。
この言葉の背景には武士の生活が大きく関わっていそうです。
では、このことわざの由来について見てみましょう。
由来
武士というのは名誉や対面を重んじるものなので、
たとえお腹が減っていたとしてもそれをむやみに表にしてはいけない。
あたかも満腹のように装い爪楊枝を使うべきだ、
という武士としての生き方が由来になっています。
さて、ここで思うのは、
「武士って貧しいの?」
ということです。
武士とは戦に関わる人々でしたから、戦のない平和な時代は
やりくりが大変な武家もあったようです。
庭で畑をして作物を育てたりして、
爪に火を灯すような生活をしていた所も多かったと思われます。
映画化もされている「武士の家計簿」という本にも、
そういった武家の台所事情なんかが紹介されています。
武家は祝儀交際費、出世のための賄賂なんかがかさんできます。
これが、彼らの「名誉や対面を重んじる」ということなのです。
そのため、多くの借金を抱えている家も少なくなかったようです。
さて、話が逸れましたが、
このことわざからは武士たるもの、
貧しさや空腹よりも誇りを大切にするべきである
という武士道精神が垣間見えます。
高楊枝というのは、
満腹になって食後ゆうゆうと爪楊枝を使うようすをあらわした言葉です。
つまりお腹が減っていても、満腹で満足しているように振る舞うという意味があります。
「衣食足りて礼節を知る」という言葉もあるくらいですから、
空腹下でも立派な武士である、という事はそれだけで精神的に大変なことです。
この言葉が生まれたであろう江戸時代、
武士は色々と大変だったのでしょうね。。。
使い方と例文
「武士は食わねど高楊枝」は気位を持って生きる、
気丈な精神を持つという意味もあります。
ですが、一方でやせ我慢して無理している様子をあらわすこともあります。
また、武士と付いていることから男性をイメージする人も多いですが、
女性に対しても使うことができます。
では実際に例文を紹介していきましょう。
1.
「仕事も住む場所もなくなり絶望的状態であったが、
武士は食わねど高楊枝の精神で平然を装った」
2.
「彼は楽しげに笑っているが、
武士は食わねど高楊枝できっと心の中では泣いていることだろう」
3.
「私は武士は食わねど高楊枝と必死で見栄を張っていたが、
彼には簡単に見破られてしまった」
自分が平気な振りをしたり見栄を張る場合にも使いますし、
相手が見栄を張って無理しているときにも使うこともできますね。
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反対語について
では「武士は食わねど高楊枝」と逆の意味の言葉を紹介していきましょう。
貧すれば鈍する
暮しが貧しくなれば心までも貧しくなるものだという意味です。
貧乏になると毎日を生きるのに必死で知恵や頭の回転が衰えてしまい、
賢い人でも愚かになるという意味です。
貧しくても気位を持つべきという意味の「武士は食わねど高楊枝」に対して、
貧しいと心も愚かになるという逆の意味があります。
詩を作るより田を作れ
文学など役立たないことよりも、実利のある仕事をしたほうが良い
という意味です。
「武士は食わねど高楊枝」とはかけ離れたことわざに思えますが、
気位やプライド、武士道精神よりも今食べるご飯を気にした方が良い、
と言い換えることもできます。
「貧しい」という事は心や文化へのダメージが大きそうですね。
貧しさが必ずしもマイナスだとは思いませんが、
やはりどんな時でも心の豊かさや余裕は失いたくないものです。
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まとめ
今回は「武士は食わねど高楊枝」の意味や使い方について紹介しました。
このことわざは、空腹でもそれを表に出さず
満腹のように楊枝を使っている状況をあらわしています。
実は明確な反対語というものはなく「貧すれば鈍する」も「詩を作るより田を作れ」も
逆の意味の部分もあるけれど真逆というわけではありません。
ちなみに同義語としては、
- 「鷹は飢えても穂を摘まず」
- 「渇しても盗泉の水を飲まず」
などがあります。
苦しい状況で見栄を張るのは、必ずしも良い事とは言えませんが、
卑しくあることは避けたいものです。
自分の中には良いプライドを飼っておきたいものですよね。
今回は以上です。
ご参考になりましたら幸いです。
(*゚ー゚*)ノ
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