カカオベルトとは?日本や台湾は含まれるの?
カカオベルトってご存知ですか?
「なんだか小学生・中学生の頃に習ったような‥」
という曖昧な記憶の中にあるような人も多いのではないでしょうか。
「ベルト」と言っているのだから、真っ直ぐな棒のようなもののことを指していそうですよね。
実際「カカオベルト」とは何を意味するのか、説明していきます。
目次
カカオベルトとは
カカオベルトとは、カカオが栽培されている地域全体のことを意味します。
カカオを栽培するには条件がいくつもあり、栽培できる気候が限られています。
そのカカオを生産している国を並べるとベルトのようになっていることから、「カカオベルト」と言われています。
カカオベルトの条件
その地域について詳しく説明すると、高温多湿の熱帯で、赤道を挟んで北緯20度から南緯20度までに限られます。
さらに、高度30~300mで、年間平均気温が約27度で気温差が小さく、年間降水量は1000m以上であるといった条件が必要なのです。
条件の理由
平均気温が27度でなければならない理由には、カカオ豆の中にある「カカオバター」という油脂分にあると言われています。
カカオバターはその気温を切ると非常にかたい固形の状態になるため、寒いとカカオ豆が発芽できないと考えられています。
カカオバターは、カカオの約半分を占める油脂分なのです。
主なカカオの生産国
カカオベルトの細かい条件を満たすのが、中南米、西アフリカ、東南アジアというエリアになっています。
主な生産国は、アフリカのコートジボワールやガーナ、ナイジェリアやカメルーン、中南米ではエクアドルやブラジル、東南アジアではインドネシアなどが挙げられます。
この7カ国で世界の総生産の9割ほどを占めています。
他にも、ウガンダ、コロンビア、ドミニカ共和国、メキシコ、ペルー、インド、パプアニューギニアなど、約50の国々でカカオ豆を生産しています。
カカオの産地についての詳しい情報はこちらの記事をご参照ください。
>> カカオの産地と国はどこ?食べ比べはできる?特徴や味を徹底比較!
カカオと言えば思いつくのはチョコレート。
それからコーヒーですかね。
あれ?コーヒー?
ちょっとまってください。
ここでコーヒー豆とカカオ豆の違いについてもはっきりさせておきましょう。
コーヒー豆とカカオ豆の違い
よく混同されるコーヒーとカカオですが、実は全く違う植物です。
コーヒーはアカネ科、カカオはアオイ科に属します。
カカオ:アオイ科
コーヒー豆について
コーヒー豆は、「豆」だと思っている方が多いと思いますが、アカネ科の植物「コーヒーノキの種子」です。
苗木から2~3年かけて成長し、ジャスミンのような香りの白い花を咲かせます。
花は開花から2~3日程度でしぼんでしまいますが、その後、楕円形の実をつけます。
その実が完熟することで、さくらんぼのように赤くなることから、
「コーヒーチェリー」
とも呼ばれ、その実の中に向かい合わせで入った「2粒の種子」がコーヒー豆なのです。
種子を取り出し、精製したものは「生豆」と呼ばれ、焙煎すると、茶色のコーヒー豆が出来上がるのです。
カカオ豆について
一方カカオ豆とは、「熱帯アメリカ原産のアオイ目アオイ科カカオ属」の常緑中高木の果実のことを指します。
その果実がチョコレートやココアの原料とされます。
果実が成熟したのち、中に入っている種子を取り出して数日発酵させます。
発酵して赤褐色に変色した種子がカカオ豆なのです。
似ているとは思いつつも、全く異なる植物だということには驚きましたね。
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日本や台湾でカカオは育つのか
では、気温差が激しい日本や、カカオベルトより少し外れた台湾などでは、カカオを育てることは不可能なのでしょうか。
日本におけるカカオ栽培
日本はカカオベルトから遠く離れているので、カカオの栽培は難しいとされていました。
しかし、2019年、日本で栽培したカカオのみを使用したチョコレートが発売されたのです!
その名も「東京カカオプロジェクト」。
実現した会社は「平塚製菓株式会社」です。
カカオを自分の手で育ててみたい、東京で育ったカカオがどんな味のチョコレートになるのか味わってみたい、というシンプルで強い探究心から生まれた「東京カカオ」。
最初の苗を植えてから実を収穫するまで10年以上の時間をかけ、誰も味わったことのない美味しさにたどり着いたのです。
台湾でのカカオ栽培
では、台湾でもカカオの栽培はできるのだろうかと気になりますよね。
大きく知られていませんが、実は台湾はカカオの産地なのです。
その歴史を辿ると、1927年、森永製菓の創業者、森永太一郎は、カカオ栽培ができる土地を探すために台湾へ渡りました。
当時台湾は日本統治下だったため、日本の未来のために、カカオを国内で栽培し、チョコレートの自給自足を図ろうとしたのです。
そして、カカオ栽培のための基盤を作って帰国し、その事業を引き継がれた当時の常務取締役、大串松次氏は1937年に台湾へ渡り、栽培方針を固め、1939年には「森永台湾殖産会社」を設立。
そこで本格的にカカオ栽培が進められましたが、世界各国からカカオを運搬する苦労、冬の気温の低さもカカオの成長を妨げました。
十分な収穫がないまま太平洋戦争が始まり、事業は中断、戦争は激化。
カカオ豆は本土へ送られることなく終戦となってしまいました。
そして現在は、カカオの木はしっかり台湾の大地に根を下ろしているのです。
主要産地と比べると収穫がごくわずかですが、2010年以降はカカオ農家が増え、地元のカカオでチョコレートを作るブランドもできています。
台湾を訪れる日本人観光客の中には、カカオを目的としている方も多いのだそうです。
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まとめ
カカオベルトについて、思い出していただけましたか?
細かい条件の地域しか含まれないと言いながらも、日本や台湾でも栽培できていたなんて、驚きましたね。
歴史に名を残してきた方々の努力が決して無駄になることなく、現代に繋がっているのだと思うと、感慨深いです。
これからさらに日本でのカカオ栽培が発展していくことを願っています‥!
今回は以上です。
ご参考になりましたら幸いです。
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