忠言は耳に逆らうの意味!続きはどうなってる?漢文もチェック!
「忠言は耳に逆らう」
こんなことわざがあります。
忠言というのは忠実な言葉ということなのでしょうか。
「耳に逆らう」ということは、
いうことを聞かないってこと??
いったい、どういう意味なのでしょうか。
また「忠言は耳に逆らう」には続きがあるようです。
いったい、どんな言葉が続くのでしょうか。
と、いうことで!
今回はこのことわざの意味や使い方についてまとめてした。
由来となっている漢文や語源もチェックしていきましょう。
目次
忠言は耳に逆らうの意味
まずは、このことわざの基本的な意味からみていきましょう。
- 忠言は耳に逆らうの意味
忠告の言葉は言われる者にとっては耳が痛いことが多く、なかなか素直に受け入れられにくい、ということ。
その人のことを考えて、真心を込めていさめるような忠告の言葉。
しかし、受け取る方にとっては、耳に痛いですし、非難されているように聞こえます。
なので、わかっちゃいるけど、素直に聞くことはできないもの。
思春期の子供あるあるですよね。
素直に聞くことができずに反発してしまう、という意味が「耳に逆らう」という部分に込められています。
しかし、耳に痛いような忠告をしてくれる人こそ、真に真心を持って接してくれている人であり、結局はそういった人の忠告というのはためになる、という教訓も込められていることわざなのです。
続きはどうなっている?
「忠言は耳に逆らう」ということわざには、実は続きがあります。
いったい、どんな続きがあるのでしょうか。
・・・・・・・
「忠言は耳に逆らう」ということわざは、孔子の説話を蒐集した書物である
「孔子家語」
に記されている
が語源になっています。
「忠言は耳に逆らう」の続きは、
行いに利あり
になります。
現代の言葉に直すと、
となります。
ちなみに「忠言」というのは不正や欠点を改めるよう忠告する言葉という意味ですね。
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漢文について
では「忠言は耳に逆らう」の元になっている漢文をみてみましょう。
孔子家語・六本
漢文
孔子曰、良藥苦於口、而利於病。
忠言逆於耳、而利於行。
書き下し文
孔子曰はく、良藥口に苦けれども、病に利あり。
忠言耳に逆へども、行ふに利あり。
現代語訳
孔子は言った。
「身体に良い薬は口に苦いけれど病に効果がある、真心を込めた忠告は耳に痛いけれど役に立つものである」
苦いけれど病を治してくれる効果のある良薬にたとえ、耳に痛い忠告も実際に己の役に立つということを説明しているのでした。
同じ意味の類語とは?
次に、「忠言は耳に逆らう」と同じ意味で使われている類語をみてみましょう。
諫言耳に逆らう・金言耳に逆らう
どちらも「忠言は耳に逆らう」に似ていますよね。
「諫言」というのは人をいさめる言葉、お説教のこと。
「金言」というのは世の中の手本となるような優れた言葉を言います。
どちらも耳に痛く、素直に聞き入れがたいという意味があります。
「○○に逆らう」シリーズは結構バリエーションがありますね。
苦言は薬なり、甘言は病なり
苦言というのは結果的に身を立てる薬となり、甘言というのは結果的に身を亡ぼす病となる、ということわざです。
苦言に耳を塞ぎ、甘言ばかりに酔っているといつか身を亡ぼすという戒めの意味合いもあります。
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まとめ
今回は「忠言は耳に逆らう」の意味や語源について紹介しました。
忠告の言葉は言われる者にとっては耳が痛いことが多く、なかなか素直に受け入れられにくい、という意味でした!
確かに学校や職場で口うるさくガミガミ注意してくる人っていますよね。
言われた当時は、
「うるさいな~、嫌だな~、この人。」
と思っていた人も、しかし卒業したり、役職が上がったりすると、
「ああ、あのときの注意って結局自分のためになっていたな。」
と気付くときってありますよね。
耳に痛い忠告をしてくれる人こそ自分を成長させてくれる貴重な存在なのかもしれません。
耳は逆らっていても、本当に自分の為を思っている言葉なのであれば、心ではしたがっていたいものですね。
今回は以上です。
ご参考になりましたら幸いです。
(*゚ー゚*)ノ
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