袖振り合うも多生の縁の意味とは?他生は間違い?四字熟語でいうと?
「袖振り合うも多生の縁」
誰かと街でばったり会ったときなどに、
こんな言い方をすることがあります。
「縁」というのは、
「人と人との縁のことかな」
という予想は付きますが「袖振り合うも」の、
「袖」
は何をあらわしているのでしょうか。
振袖の袖のことでしょうか。
あと、漢字に変換すると
の二つが出てきますよね。
これはどちらが正しいのでしょうか。
と、いうことで!
今回はこのことわさの意味や使い方をまとめました。
それではさっそくみていきましょう。
袖振り合うも多生の縁の意味
まずは基本的な意味からみていきましょう。
- 袖振り合うも多生の縁の意味
知らない人とたまたま道で袖が触れ合うような些細なことであっても前世からの深い因縁であるということ。
このことわざは仏教の考えが元になっています。
人と人との縁というものは単なる偶然ではなく、すべて深い因縁によって結ばれているの。
だから、どんな出会いであっても大切にしなければならないという教訓が含まれているんですね。
袖というのは着物の袖のことで、和服の袖がふわりと揺れて、隣を歩いているときやすれ違いざまに他の人の袖と触れてしまうようなよくある状況をあらわしています。
「多生」というのは仏教用語で、六道を輪廻して何度も生まれ変わるという意味があります。
つまり、「多生の縁」というのは生まれ変わる中、前世で結ばれた縁という意味になるわけですね。
上方いろはかるたや尾張いろはかるたの「そ」の読み札にもなっているので聞き覚えのある人も多いのではないでしょうか。
(^^
「多生」か「他生」か
さてお次は「たしょう」について。
「多生の縁」が正しいのか。
「他生の縁」が正しいのか。
のお話しについて。
先にも述べたように、元々このことわざは仏教の考えをあらわしています。
なので仏教用語である「多生」という言葉を使っていましたね。
それゆえ、本来であれば「多生の縁」が正しい使い方となります。
しかし、普段あまり「多生」なんて使いませんよね。
それに、
「他人と道で袖が触れ合うような些細なことであっても前世からの深い因縁である」
という意味のことわざなので
「他者の人生」
というイメージも強いです。
そういった経緯から「袖振り合うも他生の縁」という言い方が多くなり、今では許容された用法になっています。
つまり本来は「多生」ですが言葉が移り変わっている現代では「他生」の方も間違いではないということになりますね。
ちなみに「多少の縁」と書き「まあ多少は縁があるかも」という意味で使っている方もいるかもしれませんが「多少」という書き方は間違いとなります。
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四字熟語でいうと?
実は「袖振り合うも多生の縁」は、
四字熟語でも表すことができます。
四字熟語を調べてみると
多生之縁
というものがあります。
使われている漢字は「袖振り合うも多生の縁」と似ていますよね。
意味は、この世に生まれ出る前からの深い因縁によって今のつながりがあるという意味となります。
「袖振り合うも」の部分の、たとえ些細な繋がりであっても、という前置き部分はないですが、教訓として意味するところは同じですね。
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まとめ
今回は「袖振り合うも多生の縁」の意味や使い方について紹介しました。
他人と道で袖が触れ合うような些細なことであっても前世からの深い因縁なので大切にしなければならない、という教訓を意味でした!
今は和服を着る人が少ないので
「歩いていてもそんなに他の人と袖が触れ合うことってないけど?」
なんて思っちゃいますよね。
(^^;
しかし、このことわざの教訓としては「袖が触れ合う」というのが重要なのではなく
「些細な繋がりであっても貴重な縁なのだから大切にするべき」
ということに重きを置いています。
そういわれると確かに、ちょっとした繋がりであっても人との出会いは大切にしなければな、なんて思いますよね。^^
今回は以上です。
ご参考になりましたら幸いです。
(*゚ー゚*)ノ
タグ:かるた
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