光陰矢の如しの続きは?正確な意味や使い方もチェック!
「光陰矢の如し」
年月の経過をあらわす際に、
こうな言い方をしますよね。
何だかもの凄いスピード感のあることわざですが、
正確にはどんな意味を持つのでしょうか。
また、「光陰矢の如し」には続きがあります。
最期まで読むとどのような意味になるのでしょうか。
いったいどんな文章が続くのか。
ちょっと気になりますよね。
|・ω・)
と、いうことで!
今回はこのことわざの意味や使い方、
また続きの文章などをまとめました。
光陰矢の如しの続きについて
「光陰矢の如し」というのは、月日の過ぎていくことが、とても早いことのたとえです。
月日の経過を早いと感じる気持ちを、素早く空を走る矢にたとえています。
それだけでなく月日というのはあっという間に過ぎ去ってしまうのだから大切に生きなければならない、過ぎ去った日々は二度と戻ることはない、という戒めの意味もあります。
「光陰矢の如し」なんていうと映画のように光を放ちながら矢がびゅーんと飛んでいくイメージかもしれませんが、実は「光」は日を、「陰」は月をあらわしています。つまり「光陰」という言葉自体が月日や時間を意味しているんですね。
正確な意味
「光陰矢の如し」は、月日の経つのがとても早いこと、年月の経過を早く感じることを意味することわざですが、実はこの続きがあります。
まずこの言葉は、中国の儒学者である朱熹が記した「偶成」という詩に出てきます。
一寸の光陰軽んずべからず
正確には「光陰矢の如し」とは少し違いますが、
わずかな年月であっても決して軽んじてはいけない
という意味は共通します。
では次に、この漢文の全体をみてみましょう。
漢文
- 少年易老学難成。
一寸光陰不可軽。
未覚池塘春草夢、
階前梧葉已秋風。
書き下し文
少年老い易く学成り難し。
一寸の光陰軽んずべからず。
いまだ覚めず池塘春草の夢、
階前の梧葉すでに秋風。
意味
学問がものになるのは大変難しいことである。
だから、わずかな年月、時間であっても決して軽んじてはいけない。
春に池のほとりに草が揺らいでいるのを見ながらうつらうつらと夢を見ていたかと思ったら、庭先のアオギリはもう秋の気配を帯びている。
となります。
この漢文が元にあるので
- 「光陰矢の如し、少年老い易く、学成り難し」
と表現することもあり、
「光陰矢の如し」
と
「少年老い易く、学成り難し」
が類語としてセットで紹介されることも多くなっています。
使い方
では実際に「光陰矢の如し」の使い方をみてみましょう。
例文
「光陰矢の如しともいうので、大学生活をダラダラ過ごしていないで、きちんと勉学に励もう」
このような使い方ができます。
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類語について
では「光陰矢の如し」と同じ意味を持つ類語を紹介していきましょう。
一刻千金
わずかな時間が大切であるという意味で、貴重な時間や楽しい時間が過ぎ去るのが早いということをあらわしています。
どちらの意味も「光陰矢の如し」と共通しますよね。「一攫千金」と似ているので、巨大な利益を上げるという意味に捉えられがちですが、それは間違いです。
送る月日に関守なし
年月の過ぎるのは、早いものだということのたとえで、時の流れは止められないということをあらわしています。
単純に「月日に関守なし」ともいいます。
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まとめ
今回は「光陰矢の如し」の意味や使い方、元になった漢文などを紹介しました。
月日が経つのは早く、過ぎ去ったときはもう戻らないという意味なのでした。
文字のイメージだとエネルギッシュな感じがしましたが、意味は結構切ないですね~。
元の漢文が同じなので、
「少年老い易く学成り難し」
と続けて言われたり、対になって紹介されることも多くなっています。
余談ですが、詩のタイトルである「偶成」は「たまたまできた」という意味であり、実は朱熹ではなく他の人が作ったのではないかという説もあります。
でもとてもキレイな情景をあらわしている素敵な詩ですよね。^^
今回は以上です。
ご参考になりましたら幸いです。
(*゚ー゚*)ノ
タグ:漢文
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