五十歩百歩の意味!漢文の書き下し文と現代語訳も

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五十歩百歩

「大差ないじゃん~」

なんてことを表現する時に、
こんな言い方しますよね。

でも五十と百じゃあ倍の差がありますし、

けっこう違うじゃん!

なんて思いません?
(^^;

正確にはどういう意味なのでしょうか。

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元々は中国の漢文に由来する言葉のようですが、
どんな逸話があるのでしょうか。

と、いうことで!

今回はこのことわざの意味や使い方、
由来となった漢文などをみていきましょう。


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五十歩百歩の意味

まずは基本的な意味からチェックしていきましょう。

    五十歩百歩の意味

    わずかな程度の差があったとしても、本質的には変わらないことのたとえ。

どちらも大した違いはなく似たようなもの。
微々たる差があっても本質としては同じ。

こんな意味で使う言葉ですね。

ただし、

「どちらも同じく素晴らしいものである」
「どちらの本質も良いものだ」

というふうに使うのではなく、

「どちらも大したものではない」
「両方つまらないものだ」

というネガティブな意味合いで使います。

ただ、先ほども書いたように五十と百では
結構な違いがありますよね。

金銭にした場合だと五十万と百万ではかなりの金額の差があります。

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五十も百もわずかな違いで本質的には変わらない、
というのは具体的にどういう意味なのでしょうか。

実はそれはこの言葉の由来に関係してきます。


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由来について

そこで、ここではこの言葉の由来についてみてみましょう。

「五十歩百歩」は、戦国時代中国の儒学者である孟子の言葉をまとめた、

孟子 梁惠王上

にある「五十歩を以て百歩を笑ふ」という逸話が元になっています。

どんなお話なのか気になりますねー。

ではその漢文と書き下し文、現代語訳を見ていきましょう。

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漢文

    孟子対曰、

    「王好戦 請以戦喩。
    填然、鼓之、兵刃既接。
    棄甲曳兵而走、或百歩而後止、或五十歩而後止。
    以五十歩笑百歩、則何如。」

    曰、

    「不可。直不百歩耳。是亦走也。」

    曰、

    「王如知此、則無望民之多於隣国也。」

書き下し文

孟子対へて曰く

「王、戦を好む。請ふ戦を以て喩へむ。
填然として之を鼓し、兵刃既に接す。
甲を棄て兵を曳きて走る。或いは百歩にして後に止まり、
或いは五十歩にして後に止まる。
五十歩を以て百歩を笑はば、則ち何如」と。

曰く

「不可なり。直だ(ただ)百歩ならざるのみ。是(これ)も亦走るなり」と。

曰く

「王如し此を知らば、則ち民の隣国より多きこと望むこと無からむ。」

現代語訳

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孟子が王に言いました。

「王は戦を好みますから、戦で例えさせて頂きます。

今、まさに太鼓の音が鳴り響いて開戦の時を迎え、両軍入り乱れて戦っております。

しばらくすると、怖気づいた兵士が甲冑と武器を投げ棄て後ろを向いて走りだしました。
ある者は百歩にして止まり、ある者は五十歩にして止まりました。

五十歩で止まった者が、百歩で止まった者を笑ったとしたらどうでしょうか?」

王は言いました。

「それは駄目だ。五十歩の者とて百歩でないだけで、逃げたことには変わりない」

孟子は言いました。

「王がこれを理解なさるなら、民が隣国より多いことを望むべきではないでしょう

解説

少し分かり辛いかもしれませんが、これは最初に王が、

「私は国を豊かにするためにいろいろな政策を図り努力しているつもりだ。
しかし特に国民に対して心を砕いていない隣国とそう民の数が変わらないのはどうしてだ」

と質問し、それに対して孟子が例え話を用いて説明している場面ですね。

つまり努力をしているつもりでも、

我が国と隣国とでは五十歩と百歩程度の違いしかないのだ、

と言っています。

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まとめ

今回は「五十歩百歩」の意味と使い方、由来となった漢文についてまとめてみました。

基本的な意味としては、わずかな程度の差があったとしても、本質的には変わらないことのたとえで、どちらも大したことないというネガティブな意味で使う言葉でした。

逸話を見てみると、本当に五十歩逃げた兵士と百歩逃げた兵士がいた、という話ではなく、王を説得させるための孟子の分かりやすい例え話だったようです。

王に対して「そんなこと言ったら百歩逃げた者を笑う五十歩逃げた者と一緒ですよ~」と言っているんですね。

状況を考えると、

え・・・王様にこんな失礼なこと言って良いの・・・

とドキッとしますよね。
(^^;

王の身分を考えたら肝の冷える思いです。

しかし、当時の中国で王に付いている儒学者というのは軍師・政治家としても側面もありました。

今でいうところのコンサルタントやアドバイザーですね。

王が自ら依頼し助言を貰っていることも多かったので、耳の痛いことでも結構ズバズバと発言することもあったようです。

三国志にも出てくる劉備と諸葛亮の関係性など有名ですよね。

同じやるのであれば、五十歩百歩と言わず、
五十歩千歩くらいの差はつけたいものですね。

今回は以上です。
ご参考になりましたら幸いです。
(*゚ー゚*)ノ


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